10月17日放送 #27 忍城

10/17放送 #27

テーマ:忍城

案内人①:成田 長親さん(忍城おもてなし甲冑隊 忍城城代・成田軍総大将)

案内人②:正木 丹波守さん(忍城おもてなし甲冑隊 成田家筆頭家老)

○今回の発見!

・映画にもなった小説「のぼうの城」は、忍城を舞台にしている

・忍城の領主 成田長親は家臣から“でくのぼう”扱いされる一方で領民からは「のぼう様」と親しみをこめて呼ばれていた

・忍城は、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城

・秀吉の作戦は、備中高松城を落とした水攻めで忍上を攻めた

・足袋蔵の町 行田=足袋の生産量日本一だったため、足袋を保管する蔵が多く残り文化財にも

・ドラマ陸王の舞台になった行田市 撮影も行田市で行われた

・忍城は、沼に浮いて見えたことや水攻めでも落ちなかったことから別名「浮き城」と呼ばれていた

・忍城攻略の現場指揮は、石田光成 水攻めの際、光成は1週間で28キロの堤防を完成させたと言われている

・お堀に鯉が多い理由は、いざと言うときに食料にするため 城には実がなる木も多い

・現在の忍城御三階櫓は明治時代に取り壊されたものを昭和63年に再建

・忍城の本丸は、徳川家康の鷹狩り場として使われていた

・忍城の鐘を移築した「かねつき堂」では、行田市のご当地グルメを楽しむことができる

 (048-556-7811)

・かねつき堂では、ご当地グルメ「ゼリーフライ」「ふらい」を楽しめる

・ゼリーフライは、日露戦の時大陸から伝わった

・ゼリーフライ見た目はコロッケ

・ゼリーフライは、小判の様な銭形から「銭フライ」。それがなまったと言われる。たくさんのおからを使い衣がないのが特徴

・ふらい←見た目はお好み焼きの行田市グルメ

・足袋の町だったため、布が来る→布来=ふらい

・明治維新後、忍城は解体 多くの建造物や資材が売りに出された

・荒川は、千数百年前まで街の中央部を流れていた

・荒川が流れていた地域では、地下水が多く自噴し、沼が多かった その中で大きな沼が忍城の大沼だったと言われている

・忍城の周辺には、葦が生い茂り、どこに門があるのか見通せず自然の洋裁となっていた

・忍城は、平地過ぎて、水を集めることができなかった。

・忍城は、大軍で攻めれば比較的すぐ落とせた。しかし、秀吉が水攻めを選んだのは、北条氏についている東日本の武将へのパフォーマンスと言う説もある

・忍城は天正18年(1590年)小田原城降伏の後開城し豊臣軍に引き渡された

       
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