10月24日放送 #28 きたま古墳群

10/24放送 #28

テーマ:さきたま古墳群

案内人①:伊東 洋一さん(行田観光ボランティア会)

案内人②:山田 琴子さん(埼玉県立さきたま史跡の博物館 主任学芸員)

○今回の発見!

・行田市には、5世紀~7世紀はじめ頃に作られた大型の前方後円墳8基円墳1基が群集している。なくなってしまった古墳も合わせると全部で40基程度群集していた。

・埼玉県行田市 古代蓮の里 古代蓮会館 048-559-0770では、田んぼアートが人気

…行田市が誇る緑豊かな水田を舞台に2008年より様々なテーマで実施。2015年ギネスに認定

・さきたま古墳群は、国指定の史跡に認定され、さきたま古墳公園として整備されている

・「多摩の先」=「先多摩」から「さきたま」の名前が付いたとも言われている

・さきたまが「さいたま」へと変化したという説がある

・さきたま古墳群で最小の古墳でも長さ53m(愛宕山古墳)

・行田市に古墳が多い理由は、荒川と利根川に挟まれ船で内陸まで者を運ぶことに長けた場所だった。そのため、水運で栄えた豪族が多くいて古墳を作ったと考えられている

・前方後円墳を造れた人は、身分が高かった。造れる身分がない人は、円墳を造った。

・さきたま古墳群の中で一番最初に造られた古墳が、稲荷山古墳

・次に造られた古墳が、丸墓山古墳

・埼玉県内で一番大きい古墳が、双子山古墳

・古墳を密集させた理由として、関東ローム層が地表面まであり、地盤がしっかりしていたため

・2017年奈良市の円墳・富雄丸山古墳が航空レーザ測量により丸墓山古墳を上回る可能性がわかり、2019年の発掘調査での日本最大約109mと判明した

それまで日本最大の円墳は、丸墓山古墳だった。

・土偶は、縄文時代に作られたもの、埴輪は、古墳時代に作られたもの。どちらも土製

・埴輪は、墓地にむやみに人が立ち入らないよう、生活の場所と墓地を区切る意味もあった

・稲荷山古墳からは、埋葬された棺が出土した。装飾品がそのままの姿で発掘された

・出土品は、国宝に指定され、埼玉県立さきたま史跡の博物館[問]048-559-1111で見ることができる

・稲荷山古墳から出土した「国宝金錯銘鉄剣」には、文字が刻まれている

・剣には、漢字で文章が刻まれていて、内容は、名前や地位、時代、役職がわかる

・剣は、文字が発見され国宝に指定された

・剣と一緒に出土した品も国宝に指定されている

・古墳時代には、日本には馬がいなかった

・古墳時代当時は、馬≒高級スポーツカー

・出土した品の中には、鉄を作る道具もあった。当時は、鉄を作る技術は、普及しておらず、行田周辺の開発のために鉄が使われたと考えられている

・日本国内で見つかる金箸は、稲荷山古墳で出土したものより大きい。慰安利山古墳から出土した金箸は、朝鮮半島から輸入→行田で使用→古墳の中へという流れが推測されている

・企画展 徹底解剖!埼玉古墳群← 企画展名 ~副葬品から探る被葬者像~

2019年9月14日(土)~2019年11月14日(木) 

場所:さきたま史跡の博物館本館1階 企画展示室

・前玉神社は、古墳の上に建てられている

・前玉神社は、平安時代の書物にも記載があるので、平安耳朶には存在していた

・建てられた当時は、お社は下にあったのでは説。後世に進行が高いところを求めるようになり移築されたのではという説

・「幸魂」→「前玉」→「埼玉」 幸せの御魂に由来する埼玉県は縁起のいい県

・栃木県の埼玉(さきたま)は、行田市さきたま出身の人が移り住んで命名した説

・「さきたま」という言葉は万葉集にも記載がある

       
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