9月24日放送 #72 霞ヶ浦

9/24放送 #72

テーマ: 霞ヶ浦

案内人:千葉隆司さん(かすみがうら市歴史博物館 館長)

○今回の発見!

・霞ヶ浦は、川が作った湖。時代によって海とつながっていたり、川の一部だったり、もっと大きな湖だったりと様々な形を経て今に至っている

・かつては、鬼怒川は霞ヶ浦へ流れこんでいた。霞ヶ浦には、栃木から流れ着いた石(メノウ)が湖底にたまっている

・徳川家康が利根川を霞ヶ浦に付け替えた。江戸の水害を防ぎ、たくさんの物資を江戸に運ぶため

・家康が利根川を付け替え→浅間山噴火→利根川が灰を運ぶ→霞ヶ浦が埋まる→霞ヶ浦が小さくなる

・戦時中に霞ヶ浦は、水上機の滑走路として利用された。茨城はサツマイモの産地。そこで、サツマイモからアルコールを作り燃料にする研究もおこなわれていた。

・戦後、日本は、重工業に力を入れ、鹿嶋市に臨海工業団地造りが計画され、工業用水の必要性から霞ヶ浦が水門により淡水化される

・茨城県西へ霞ヶ浦から農業用水が送られている

・霞ヶ浦伝統の漁 帆引き船:明治13年に折本良平氏によって考案され、一人で広い湖を乗り回し網で魚をとる画期的な漁法 白い帆を広げ、船を横に滑らせながら網を引く。現在では観光資源として見学することができる

・歩崎観音表参道では、霞ヶ浦の変遷を地層で振り返ることができる。古東京湾(海)の地層~干潟(陸)の地層~古鬼怒川(川)の地層

・県指定第一号の名勝「歩崎」展望台

・霞ヶ浦は、鯉の日本一の生産量を誇る 食用鯉の生産量日本一

・鯉は栄養価が高く、江戸時代の栄養食といえば鯉だった

・霞ヶ浦の沖で難破した船を水面を歩いた観音様が助けてくれたという伝説が残り、この伝説から歩崎との地名ができた 歩崎観音(長禅寺)は、船の安全と豊漁を見守る観音様

・かすみがうら市内には、600基くらいの古墳が残ている。富士見塚古墳は、市内最大の前方後円墳

       
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