8月6日放送 #65 足利銘仙

8/6放送 #65

テーマ: 足利銘仙

案内人:大森哲也さん(足利市立美術館 前館長)

○今回の発見!

・足利織物会館(0284-22-3004)の2階では織物の歴史を見ることができる

・旧織物協同組合事務所の貴賓室の一部が再現されている 椅子には菊の御紋

・昭和初期、天皇陛下も視察に訪れていた

・江戸時代には、織物市が開かれるようになり、足利が織物の町として発展していった

・足利銘仙は昭和初期に生産量全国1位に

・渡良瀬橋(昭和9年完成)、中橋(昭和11年完成)、発見 足利は銘仙で景気が良くなりインフラが整った

・織姫神社(昭和12年再建)の建設費の半分くらいを織物の利益で捻出した

・群馬県から栃木県を通るJR両毛線は絹の道だった 織物を輸送するために線路が作られていった路線

・日本の織物の近代化を推進した近藤徳太郎は、足利工業高校の初代校長。校長に就任したことで足利の繊維産業が急速に近代化した。また、足利工業高校は、日本で3番目くらいにできた工業高校。

・雲井織は日本の意匠登録の第一号 栃木県工業学校(足利工業高校)から沢山の特許申請が受理された

・足利工業高校は、最初は織物のための学校だった

・足利銘仙は宣伝に力を入れていた 伊東深水が描いた足利銘仙のポスターの原画が残っている

・模様銘仙 模様を捺染した経糸に緯糸を打ち込むもの 経糸に打ち込んだ仮緯糸を解しながら本緯糸を打ち込むことから「解し」「解し織」とも言われる

・銘仙は庶民でも手に入るお洒落だった そのため、広がった

・技術の伊勢崎・柄の足利と言われていた

・当時足利には友禅作家が約50人移住し銘仙作りに参加していた

・現在も銘仙を作り続ける鶴貝捺染工業0284(21)2240

・銘仙は経糸だけに柄を染める 普通は、縦横編み込んであるものに色を付ける

・足利銘仙をもう一度使ってもらえる製品にするためには、は洋装に対応する必要があった

・鶴貝捺染工業では、1.2メートル幅という広い幅にも対応している 大判を染められる工場は日本で唯一

・鶴貝捺染工業で染められた糸は、ガチャマンラボ0284(64)7676で加工され製品となっている

・ガチャマンは日本の繊維業が隆盛を誇った時代を揶揄する語 ガチャンと機械を動かすと万のお金が儲かるという意味

・ガチャマンラボの銘仙は外務省の海外要人向け贈呈品に選定されている

       
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