4月2日放送 #49 世良田東照宮
4/2放送 #49
テーマ:世良田東照宮
案内人:菊池 貞寛さん(世良田東照宮 禰宜)
○今回の発見!
・世良田東照宮(0276-52-2045)は、日光東照宮から移築されたもの
・寛永21年(1644)に日光東照宮古宮(元和年間造営)を移築し、家康公【元和2年(1616)に薨去】を祀った
・移築の理由は、世良田が徳川家の先祖の地だったから
・御黒門は、普段は閉ざされていて庶民は、中を見ることができなかった
・御黒門の開扉は、家康公薨去日4月17日・正月17日のみだった
・身分によって参拝の場所が指定されていた。1万石以上の大名ならお宮の中で、200石以上の旗本は、廊下から、庶民は庭からとされていた
・御黒門の地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると言われている
・大鉄燈籠は、元和4年(1618)当時日本一大きい鉄燈籠(高さ4.95m)
・徳川家康の先祖をさかのぼると新田氏にたどりつく。義季(よしすえ)が徳川町の領地を譲り受け居住し徳川姓を名乗ったことから徳川が始まったとされる
・家康公25歳の時に義季にあやかり徳川姓を名乗る
・三代将軍が日光の大造替の際に二代将軍造営のお宮を世良田に移築した
・重要文化財の拝殿は桃山時代の建築様式がよく反映されている
・家康公が好んだ鷹狩りの鷹彫刻 拝殿の背面にも鷹の彫刻 彫刻よりも絵が多いのが桃山文化の特徴
・一般的神社で彫刻が多いのは江戸時代中頃以降の建物
・二代将軍秀忠が家康公の遺言に従い日光に建立した拝殿が寺田東照宮拝殿
・拝殿天井には菊花文様 三十六歌仙図がぐるりと囲むように飾られている
・徳川家康公の神号「東照大権現」記載の勅額が目を引く
・本殿は、江戸時代誰も立ち入ることができなかった
・本殿入り口の唐門も社殿とともに日光東照宮から移築された門
・本殿は、家光公によりこの地で造営された
・本殿には、巣籠りの鷹(左甚五郎作 狩野探幽画)日光東照宮と同様に左甚五郎が手がけた彫刻 家族愛・子孫安泰・家内守護を表している
・太田市立新田莊歴史資料館(0276-52-2215)には江戸時代の世良田東照宮周辺を復元した模型を見ることができる
・江戸時代、世良田東照宮は長楽寺の敷地の一部だった・
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