12月26日放送 #36 奥久慈大子のこんにゃく
12/26放送 #36
テーマ:奥久慈大子のこんにゃく
案内人:松浦 幹夫さん(松浦政二商店 全国蒟蒻原料協同組合 理事長)
○今回の発見!
・こんにゃくの元祖は茨城県大子町
・大子町はもともと材木の出荷で潤っていた
・大子町には、こんにゃくの原料屋がかてつは15軒あった。今は、2軒のみ
・大子町は、江戸時代こんにゃくの一大産地だった
・こんにゃく芋は病気にかかりやすい
・こんにゃく芋は、水はけのいいところ、風が適度に当たるところ、V字の山間で朝だけ陽があたる場所などが適している
・江戸まで芋のまま運ぶことが重労働だった。そこで、中島藤右衛門がこんにゃく芋を粉にする製法を発見。運搬を楽にした
・こんにゃく芋を粉にする技術は、水戸藩が抱え込み、水戸藩の財政に貢献したと言われている
・こんにゃくを粉にする製法は、手間が多く大変な作業
・江戸時代、こんにゃくは利益が大きく、毎年家を建てられると比喩されるほどだった
・江戸時代こんにゃくマネーが地域の産業の発展に貢献していた
・大子町には、蒟蒻神社があり、土留めは蒟蒻の原料作りにかかせない臼
・蒟蒻神社のご祭神は中島藤右衛門。個人を祀った神社は全国でも珍しい
・こんにゃく農家の人々が、収穫後に慰労会を兼ねて、中島藤右衛門をあがめて飲み会をしていたことから神社建立につながっていった
・かつては、こんにゃく会所(市場・取引所)があり、水戸藩が運営していた
・会所には、こんにゃく奉行がいて、値段を決めていた
・こんにゃくで儲かったお金は、桜田門外の変の軍資金になったと言われている
・マツモト食品のこんにゃくは、大子町内や道の駅伊王野などで購入できる
・凍みこんにゃくは、全国でも2件くらいしか作っていない貴重なこんにゃく
・凍みこんにゃくは、12月中旬から2月いっぱいにしか製造できない
・寒暖の差を利用してスポンジ状にしていくため、温度がマイナスになって凍り、昼間は10℃以上になり解けることが必須
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