11月14日放送 #30 宇都宮と紅茶

11/14放送 #30

テーマ:宇都宮と紅茶

案内人:藤本 由利子さん(うつのみやシティガイド協会 理事長)

○今回の発見!

・JR宇都宮線は、明治18年に横浜から宇都宮まで開通した

・JR日光線は、明治23年に宇都宮・日光間が開通した

・鉄道が日光までつながったことで、日光は、聖地から国際観光地となった

・宇都宮駅前には、白木屋ホテルが鉄道開通と同時にオープンした

・白木屋ホテルは、宇都宮で初めて洋食を提供したと言われている

・白木屋ホテルには、イギリスの外交官・駐日公使を努めたアーネスト・サトウが宿泊した

・日光の旧英国大使館別荘は、アーネスト・サトウが建てた

・旧英国大使館別荘の最初のお客さんは、イザベラ・バード

・イザベラ・バードは、日光滞在中に出した友人への手紙に夕方5時ごろのアフタヌーンティーについて記載している

・アフタヌーンティーを楽しむ際の紅茶や食材の入手ルートに宇都宮が関わっている

・明治の宇都宮には、横浜に入った舶来品を輸入して販売する「開花商人」がいた

・開花商人の代表的な方が「上野文七郎」 洋酒や紅茶を横浜で仕入れて販売していた

・大正時代には、中禅寺湖畔には40以上もの外国の別荘があった

・明治時代の地元の名士「鈴木」氏の邸宅跡が隠れた公園として残っている。当時の邸宅には、明治天皇、木戸孝允、岩倉具視が宿泊した

・現在の「大通り」と「清住町通り」が交差する「追分」周辺は商人の町だった。追分近くに「稲屋」という旅籠があった。

・明治3年5月に英駐日公使の「ハリー・パークス・スミス夫妻」が宿泊した

・明治5年3月には、アーネスト・サトウが宿泊している。その際、公使は侍従を連れていたと考えられている。紅茶や食材も持参していて、アフタヌーンティーを楽しんだと考えられている

・y’s tea(028-639-6601)では約100種類の紅茶を扱っている

・紅茶は、もともとは薬として飲用されていた

・紅茶のポットの中を90度以上に保たないと、紅茶の旨味成分であるタンニンが出ない

・紅茶の飲み方は、ソーサーを左手で持ち、右手でカップの持ち手をつまんで飲む

・スコーンの割れ目は、「狼の口」と言われる

・スコーンは、狼の口に沿って横に割って食べる。最初に区チームを塗り、次にジャムを乗せる。そうすると、さくさく感が残った状態で食べられる

・スコーンと紅茶の組合せを「クリームティー」と言う

       
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